檮原町立 国保梼原病院 内科 渡邉 聡子先生(福島県出身)

患者さんに近い医者を目指して

 勤務医だった父が開業したのは、私が中学3年生夏の頃。ちょうど進路を決める時期でした。医療・診療というものが身近になり、自分も何かに役に立てたらいいなぁ、患者さんの相談に乗れればいいなぁと思ったのが、医師を志したきっかけです。
医学部卒業後、そのような医者になるためには専門医の充実した教育機関で経験を積むことが大切だと思い、大学病院に籍を置きました。けれども、病気の診断と治療をつめていく毎日の中で、大学病院は患者さんの住む地域から遠いところにあってなかなか患者さんの生活が見えてこないと感じるようになりました。もっとも、私自身まだまだ世の中のこともよく知らず、自分の生活だけでいっぱいいっぱいだったので、もっと広い視野で世の中を見ることができるような自分であれば、また違っていたかもしれません。でも、病院から帰ってから患者さんがどう過ごしているのか、病気とどう付き合っているのか。そういったことまで含めて知ることができる地域医療に身をおいてみたいと思うようになったのです。私の母校の聖マリアンナ医科大学病院には、卒後2年目の研修医が高知県佐川町にある高北国保病院で1ヶ月間地域医療を学ぶシステムがあります。その関係者の方から、「高知には人を育てる風土がある。地域医療を学ぶなら、高知をおいてほかにはない」と背中を押していただきました。

導かれるようにやってきた檮原町

 高知で働くにはどうしたらいいか。手探りで進む中、「高知医療再生機構」に出会いました。今はその機構の医師として任用され、梼原病院に派遣されている立場です。高知県医療再生機構は発足して間もない機関で、派遣医師の任用制度は私が第1号とのこと。高知には誰一人知り合いもない私のことを、着任前からずいぶん気にかけていただきました。水島さんという女性のコーディネーターの方がついて、いろいろとお世話してくださってとても心強かったです。その他のスタッフの方もみなさん親切で、とてもアットホームな雰囲気なので相談もしやすいです。
 最初は機構の方と一緒に、3日かけて県内の病院を見てまわりました。その中で、この梼原病院が自分の学びたい環境、仕事をしたい環境に最も近い病院でした。住民が3000〜4000人の隔離した地域の中で、1.5次救急を担う中核病院であり、地域唯一の病院です。保健福祉支援センターと病院が棟続きの建物で、町の医療がここに集約されているのもよい点です。病院の職員が地域の人をよく知っていて、暮らしぶりや親類縁者まで知っている。もっと知っておくべきことがあれば、支援センターと連携し、保健福祉の観点から患者さんのことを考えることができる。とても魅力的で、初めて来たときに「ここだ!」と思いました。

自分の目指す医療がここに

 大学病院だと、病気の診断や治療は医師が、退院後調整は主に地域連携室やソーシャルワーカーが引き受けることになります。患者さんを診るにあたって、病気のゴールと生活の満足度のゴールがあるのではないかと感じるようになりました。しかし、生活が分からないと生活の満足度を満たす方法が分かりません。そのゴール設定の仕方を今まさに学んでいる最中です。30床の病院に3000〜4000人の住民、そこに内科医が5人という体制の中、梼原病院の先生方はいつも地域の患者さんのことを思いながら、仕事をしています。梼原病院は、「生活の中でのゴールをどのように設定するか」という考えを持った病院だと思います。ここで教わることはたいへん多く、研修の場としても最適だと思っています。
 私の目指す地域医療の中で働いていますが、どうやったら個々の患者さんに還元できるのか、まだまだ模索中です。一緒に働く先生方は、もっと患者さんのために診断・治療のスキルを身に付けるよう励ましながら指導してくださいます。システムや制度を知っていく中で、患者さんに還元できることが少しずつわかってきました。いろんなことを知っておかないと地域医療は難しいですね。
 大きな病院の専門医だと治療や検査の設備は整っていますが、自分の専門だけに特化する傾向があるように感じていました。ここでは医者としての基盤をじっくり学び、制度のことや地域の福祉のことも教えてもらいながら、少しずつ経験と知識を積み上げています。