四万十市立市民病院 脳神経外科 科長 川田 祥子先生(大阪府出身)

縁を結んだ「四万十川」

 数年前から、「自然の中で暮らしたい」と思うようになり、地方で働くことを考えていました。特に「どこ」とこだわったわけではなく、北海道や信州、岡山あたりを中心に情報を集めていました。ある日、いつかテレビで見た四万十川を思い出し、インターネットで「四万十川 移住」で検索。一番先に「四万十市移住支援協議会」が出てきたのがご縁の始まりです。軽い気持ちで資料請求をしたところ、すぐに連絡をいただき、市長さんともお話しをして、トントン拍子に四万十市立病院での勤務が決まりました。
 住まい探しも地元の機関が積極的に協力してくださり、すてきな土地が見つかって、貯金をはたいて新築しました。家のそばに竹やぶがあり、その後ろに山があり、目の前は広々とした田んぼで、朝もやがとてもきれいなところです。毎日、目覚めたときも床に就くときも「あぁ、幸せだなぁ」と実感しながら暮らしています。今の病院は夜間呼び出しがほとんどないので、ようやく晩酌というものができるようになりました。お酒は強くはありませんが、食が豊かになり、人生が豊かになった気がしています。

どこにいても現場は「同じ」

 ここは以前の病院に比べると規模も小さいですし、手術も少ないです。でも、医師としてやるべきことは同じです。日々患者さんと向き合い、治療をする。人が多くても少なくても一緒で、特別なことはありません。離島であればまた違うこともあると思いますが、ここは病院の数も多く、予期せぬ体験をすることはありません。地域のホームドクターと総合病院としての市民病院、救急病院がしっかりと連携して市民の健康を守ることが大事だと感じています。市民のみなさんには、「脳外科」と構えることなく、頭痛やめまいなど、日常的な症状でも気軽に相談してくださいと発信しています。悪くなる前に見つけることも大切ですから。
 これまでいくつもの病院を経験し、研修時代には短期間での異動も多かったので、新しい環境に行くときにはあれこれ考えず、「自分にできることをやろう!」と思って行きます。こちらにも、いろいろ心配したり悩んだりせずに、自然体でやってきました。すぐにスタッフから声をかけてもらって、仕事もプライベートも充実した日々を送っています。

時々に、自分らしい環境を選ぶ

 幅広く学ぶべき研修時代に、修行の場としては都会の方がそれなりの力をつけることができるのではないかと思います。けれど専門医になり、自分の道がはっきりすれば、あとはどこにいても同じですし、同じことをしなくてはいけないし、できなくてはいけません。
 その時には、あまり難しく考えず、「ちょっと違う環境に身をおいてみるのはどうだろう」と移住を試みるのもいいと思います。私は、長い時間をかけて医局と話し合いをして、医局に籍をおいたまま大阪を出ました。話し合いをする何年かの間に、大勢の人に「うらやましいなぁ」と言われました。人はいろいろな事情を抱え、気軽に都会を離れることができないようです。私の周りで多かった「事情」は、子どもの受験です。けれど、子育ては田舎が最適だと思います。勉強はどこにいてもできますし、人と接する機会が多い分、人間的にも成長すると確信しています。
 四万十市は人も気候も穏やかで、人々が「誇り」を持って住んでいるまち。「来てよかった」と日々実感しています。

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